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Vol.379 魔物に導かれる彼、パク・ヘイル(박해일) [韓国俳優]
2012年4月25日に韓国で公開された『은교』は、色々な意味でダークホースになりそうな作品だ(韓国内興行成績はイマサンだけど…)。
박범신の小説を映画化した作品だが、全編、最近の韓国映画では観たことがないような、形容し難い魅力と個性が漂っている。
「映画」でありながら、まるで小説を読んでいるかのような「行間」の感覚が観るものを捉え、ジャンルでいえば、人間ドラマであり、エロスであり、サスペンスであるが、一言で括ることを拒否しているような映画でもある。
それは冗長であるとともに、なにか波間を漂うような、不気味な心地良さも感じさせるのだった。
全編にかけて、정지우監督の強い執念が貫かれているようでもあって、特に김무열が好演した지우の悲惨な最後のシーンは、そのエネルギーが結集したかのようだ。
もうひとつ、この映画『은교』の特異な点は、1977年生まれの박해일が、最初から最後まで凝ったメイクの老人役で出演することである。
だが、これもまた、登場人物の一貫性にこだわった정지우監督の執念だとしたら、納得ゆくものであって、映画を見終わると、ダブルキャストにしなかった選択が正しかったことがわかる。
この映画を観終わった時、私が強く感じたことは「遂にこういう感性の作品が韓国映画に出現したか」という感慨とともに、主演の박해일が、映画という「魔物」に、何か宿命を背負わされた俳優なのではないか、ということである。
박해일が2001年に公開された『와이키키 브라더스』でデビューした時、その存在感と個性は将来性を期待させたが、同時に、安易なアイドルに落ちぶれてしまいそうな危うさと、方向性がはっきりしない不安定さも持ち合わせた、若手ルーキーの登場でもあった。
その後、박해일は、韓国映画界で順調にキャリアを積み上げてゆくが、いつも中途半端という印象がつきまとう。
そんなイメージを一変させたのが、2003年の名作『살인의 추억』だった。
だが、この作品で演じた不気味な容疑者役は、それまでのイメージを極端な方向に反転してしまう。
それはどう考えても、박해일の個性に準じたものではなかった。
主演級の俳優としての地位を得た彼だったが、やはり、そのイメージはあやふやで曖昧なままだ。
アイドル、というにはすでに歳を取りすぎていたし、演技も格段上手い訳ではなく、「個性派」というにも弱すぎる。
キャリアとしては順調でも、俳優としての存在が、相変わらず、はっきりしない。
だが、ここでまた、運命の邂逅とも言えそうな「事件」が起った。
2011年に公開された主演作『최종병기 활』の大ヒットだ。
全編、ひたすら追跡と戦いに明け暮れた、この時代劇もまた、박해일のイメージに決して結びつく作品ではなかったが、彼は重い運命に立ち向かう青年남이を演じ、敵役の류승룡と正面から渡り合う。
そして、今回の『은교』における「異様」な好演。
『은교』は、再び彼のイメージを混乱させ、不明瞭にする。
しかし、そこに、박해일を予測不能の未来へ導こうとする、謎の存在がいることを幻視してしまったのは、果たして私だけだろうか?
박범신の小説を映画化した作品だが、全編、最近の韓国映画では観たことがないような、形容し難い魅力と個性が漂っている。
「映画」でありながら、まるで小説を読んでいるかのような「行間」の感覚が観るものを捉え、ジャンルでいえば、人間ドラマであり、エロスであり、サスペンスであるが、一言で括ることを拒否しているような映画でもある。
それは冗長であるとともに、なにか波間を漂うような、不気味な心地良さも感じさせるのだった。
全編にかけて、정지우監督の強い執念が貫かれているようでもあって、特に김무열が好演した지우の悲惨な最後のシーンは、そのエネルギーが結集したかのようだ。
もうひとつ、この映画『은교』の特異な点は、1977年生まれの박해일が、最初から最後まで凝ったメイクの老人役で出演することである。
だが、これもまた、登場人物の一貫性にこだわった정지우監督の執念だとしたら、納得ゆくものであって、映画を見終わると、ダブルキャストにしなかった選択が正しかったことがわかる。
この映画を観終わった時、私が強く感じたことは「遂にこういう感性の作品が韓国映画に出現したか」という感慨とともに、主演の박해일が、映画という「魔物」に、何か宿命を背負わされた俳優なのではないか、ということである。
박해일が2001年に公開された『와이키키 브라더스』でデビューした時、その存在感と個性は将来性を期待させたが、同時に、安易なアイドルに落ちぶれてしまいそうな危うさと、方向性がはっきりしない不安定さも持ち合わせた、若手ルーキーの登場でもあった。
その後、박해일は、韓国映画界で順調にキャリアを積み上げてゆくが、いつも中途半端という印象がつきまとう。
そんなイメージを一変させたのが、2003年の名作『살인의 추억』だった。
だが、この作品で演じた不気味な容疑者役は、それまでのイメージを極端な方向に反転してしまう。
それはどう考えても、박해일の個性に準じたものではなかった。
主演級の俳優としての地位を得た彼だったが、やはり、そのイメージはあやふやで曖昧なままだ。
アイドル、というにはすでに歳を取りすぎていたし、演技も格段上手い訳ではなく、「個性派」というにも弱すぎる。
キャリアとしては順調でも、俳優としての存在が、相変わらず、はっきりしない。
だが、ここでまた、運命の邂逅とも言えそうな「事件」が起った。
2011年に公開された主演作『최종병기 활』の大ヒットだ。
全編、ひたすら追跡と戦いに明け暮れた、この時代劇もまた、박해일のイメージに決して結びつく作品ではなかったが、彼は重い運命に立ち向かう青年남이を演じ、敵役の류승룡と正面から渡り合う。
そして、今回の『은교』における「異様」な好演。
『은교』は、再び彼のイメージを混乱させ、不明瞭にする。
しかし、そこに、박해일を予測不能の未来へ導こうとする、謎の存在がいることを幻視してしまったのは、果たして私だけだろうか?

Vol.378 日本のIMAXをちょっと考えた 『The Avengers』 [韓国生活]
2012年4月26日、韓国でアメリカ映画『The Avengers』の全国一斉公開が始まった。
第一週で160万人を超える集客ぶり(※2012年5月初旬までで、400万人超え)だが、おかげで韓国映画は競合を避けたような、及び腰のショボイ品揃えになってしまった。
2011年の5月は、『サニー 永遠の仲間たち』という凄まじい暴風が吹き荒れただけに、ちょっと残念でもある。
この『The Avengers』、日本でも8月17日から公開が決まっているが、ソウルではIMAXで掛けていたので、観に行く(※日本でもIMAXで上映されます)。
IMAX上映に関しては、ソウルの方が東京近辺よりも恵まれていて、大体アメリカでIMAX上映されているものは、こちらでもIMAX上映されるようになっている。
現在、ソウル市内では、용산CGVと왕십리CGVの2館があるが、どちらも交通の便がよく、大規模な商業施設の中にあるので、お薦めだ。
용산CGVのIMAX劇場は建設当初なかった施設で、後からインディーズ館を潰して(泣)増設したものだ。
天井が高く、スクリーンも大きいが、スカスカ感も漂う。
왕십리CGVのIMAXの場合、当初から計画されていたものであるため、本来のIMAXに近いと言われているが、スクリーンが近いので、座席の選択を誤ると見づらかったりする。
どちらも一長一短なので、その時の都合に合わせて選択すればよいが、人気作だと一週間前から全席売り切れ、みたいなことが実際あるので、飛び込みは基本的にやめた方がいい。
『The Avengers』自体は、非常にバランスのとれた内容で、どのスーパーヒーローも過不足なく、きちんと描かれており、シリーズを全部観ている人にはたまらないだろう。
「スーパーヒーロー全員集合!」といえば、やってみれば揃った時点でいきなりつまらなくなる、というのが定石だが、『The Avengers』にそういうことはなかった。
その大きな理由として、彼らが超人でも、欠点を多く持ったキャラクターであることが、ドラマの運びに活かされていたことだろう。
中年ヤンキー全開のアイアンマン、体は立派だが頭が足りないソー、暴れるだけで役に立ちそうもないハルク、真面目だがいつもウジウジしているキャプテン・アメリカ、根っこは勤め人のホーク・アイにブラック・ウィドウと、彼らが織りなす人間ドラマは意外や意外、かなりまともで、映画を面白くしている。
敵の親分ロキも、心の弱さから来る間抜けぶりが、映画では一番笑えるものとなっている。
ただ、敵勢が大げさなわりに、激弱で、悪の魅力に欠けることが残念だった。
どうせなら、ここ数年ハリウッドで流行りの侵略モノに出てくる意思疎通不可能の無慈悲なエイリアン軍団みたいな敵の方が、より面白かったと思う。
映画は最後の山場で、キャプテン・アメリカが陣頭指揮を執り、勝手気ままでまとまらないヒーローたちを一つにする。
そこら辺も解釈によっては、気に入らない人がいるかもしれない。
また、大作ではあるが、あまりに効率良くサクサクと作ったようにも感じられる作品なので、熱はなく、あっさり味だ。
ハリウッド・ビジネスの一端なので仕方ないけど…
今回、『The Avengers』を観ていて、ふと気がついたことがあった。
용산CGVのIMAXは、意外と画面が暗く(3Dだからことさら)、音響も散漫で音の伸びが悪いのだ。
これは、あくまでも主観でしかないのだけど、私がよく行く、日本の某IMAX上映館の方が画面は鮮明で、音響もいいような気がしたのである。
IMAX上映館は運営にかなりコストがかかるので、入場料が高くなり、決してBESTな選択ではないけれど、DLP上映環境としては、現時点で最高峰の施設でもあるので、もう少し、日本でもIMAX上映のコンテンツが増えて欲しいとも、切に思うのだった。

第一週で160万人を超える集客ぶり(※2012年5月初旬までで、400万人超え)だが、おかげで韓国映画は競合を避けたような、及び腰のショボイ品揃えになってしまった。
2011年の5月は、『サニー 永遠の仲間たち』という凄まじい暴風が吹き荒れただけに、ちょっと残念でもある。
この『The Avengers』、日本でも8月17日から公開が決まっているが、ソウルではIMAXで掛けていたので、観に行く(※日本でもIMAXで上映されます)。
IMAX上映に関しては、ソウルの方が東京近辺よりも恵まれていて、大体アメリカでIMAX上映されているものは、こちらでもIMAX上映されるようになっている。
現在、ソウル市内では、용산CGVと왕십리CGVの2館があるが、どちらも交通の便がよく、大規模な商業施設の中にあるので、お薦めだ。
용산CGVのIMAX劇場は建設当初なかった施設で、後からインディーズ館を潰して(泣)増設したものだ。
天井が高く、スクリーンも大きいが、スカスカ感も漂う。
왕십리CGVのIMAXの場合、当初から計画されていたものであるため、本来のIMAXに近いと言われているが、スクリーンが近いので、座席の選択を誤ると見づらかったりする。
どちらも一長一短なので、その時の都合に合わせて選択すればよいが、人気作だと一週間前から全席売り切れ、みたいなことが実際あるので、飛び込みは基本的にやめた方がいい。
『The Avengers』自体は、非常にバランスのとれた内容で、どのスーパーヒーローも過不足なく、きちんと描かれており、シリーズを全部観ている人にはたまらないだろう。
「スーパーヒーロー全員集合!」といえば、やってみれば揃った時点でいきなりつまらなくなる、というのが定石だが、『The Avengers』にそういうことはなかった。
その大きな理由として、彼らが超人でも、欠点を多く持ったキャラクターであることが、ドラマの運びに活かされていたことだろう。
中年ヤンキー全開のアイアンマン、体は立派だが頭が足りないソー、暴れるだけで役に立ちそうもないハルク、真面目だがいつもウジウジしているキャプテン・アメリカ、根っこは勤め人のホーク・アイにブラック・ウィドウと、彼らが織りなす人間ドラマは意外や意外、かなりまともで、映画を面白くしている。
敵の親分ロキも、心の弱さから来る間抜けぶりが、映画では一番笑えるものとなっている。
ただ、敵勢が大げさなわりに、激弱で、悪の魅力に欠けることが残念だった。
どうせなら、ここ数年ハリウッドで流行りの侵略モノに出てくる意思疎通不可能の無慈悲なエイリアン軍団みたいな敵の方が、より面白かったと思う。
映画は最後の山場で、キャプテン・アメリカが陣頭指揮を執り、勝手気ままでまとまらないヒーローたちを一つにする。
そこら辺も解釈によっては、気に入らない人がいるかもしれない。
また、大作ではあるが、あまりに効率良くサクサクと作ったようにも感じられる作品なので、熱はなく、あっさり味だ。
ハリウッド・ビジネスの一端なので仕方ないけど…
今回、『The Avengers』を観ていて、ふと気がついたことがあった。
용산CGVのIMAXは、意外と画面が暗く(3Dだからことさら)、音響も散漫で音の伸びが悪いのだ。
これは、あくまでも主観でしかないのだけど、私がよく行く、日本の某IMAX上映館の方が画面は鮮明で、音響もいいような気がしたのである。
IMAX上映館は運営にかなりコストがかかるので、入場料が高くなり、決してBESTな選択ではないけれど、DLP上映環境としては、現時点で最高峰の施設でもあるので、もう少し、日本でもIMAX上映のコンテンツが増えて欲しいとも、切に思うのだった。

Vol.377 찜질방はラブホの代わり? [韓国生活]
韓国にいると、昼寝をするために日本でいえばサウナというか、銭湯というか、街場の찜질방をよく使う。
これは至極便利な施設なので、よく行く街角ではどこに찜질방があるか、なるべくチェックしている。
ソウルでは強行スケジュールに陥ることが多いので、できるだけ昼寝の時間を設けて、無理をしないように心がけている。
韓国には特に昼寝の習慣はないが、ある程度、融通が効く時間を取れるようであれば、普通の勤め人でも寝ていたりする。
連続して労働するよりも、間に休む時間をきちんと置いた方が作業効率が良くなることは、かなり前から証明されていることだが、日本では無理な連続勤務が美徳であり当然、みたいなところがあるし、東京ではろくに休むこともできない。
三十分でいいから、熟睡できる施設が街場にあればいいのに、と昔からよく思う。
そんな訳で、ソウル某所にある찜질방でも、よく昼寝していることを知り合いの俳優氏に話したら、「ギョッ」とされて引かれたことがあった。
理由を尋ねたら、そこの男湯はゲイ・ピープルの発展場として有名で、痴漢行為も頻繁だから要注意であるという。
そんなことを今更言われても困るわけだが、男同士が誘い合っているような場に遭遇したことはないし、ごく普通の勤め人たちもたくさん来ている。
該当するような人がいるのだろうかと、一度観察したことがあるけれど、全くわからなかった。
一般に、韓国の찜질방には、木炭サウナだとか岩塩サウナだとかが設けてあるのだが、これは一種の個室になっていて、時間帯がうまく合えば、ほとんど貸切状態だ。
みんながゴロ寝する大広間も、概して薄暗い。
そのためか、「ゲイがどったらこったら」というよりも、以前から若いカップルが手軽な愛を交わすための、お手軽施設になっていたりする。
さすがに堂々と「本番」やっているところを見たことはないが、密室の片隅で、ラブラブの二人を見ることは珍しくない。
その部屋への闖入者が男の場合、「見ない、気にしない」フリをするのが暗黙の了解だったりするから、若い二人の熱~い愛が交わされる横で、サラリーマンのおっさんがイビキをかいて眠る光景は、まるで今村昌平の映画の1シーンのようで、結構笑えるのだった。
だが、闖入者がおばさんたちだとこうはいかない。
彼女たちもとりあえず知らんふりはしているけど、おしゃべりに夢中にみせかけつつ、奥の二人に対して、ビリビリと凄まじい視線を放射する。
そのエネルギーは、あまりに強力なので、同じ部屋にいると辛いくらいだ。
結果、カップルはすごすごと退散し、おばちゃんたちは何事もなかったようにおしゃべりを続ける。
だが、それは要領の悪いカップルの話であって、大体、おばさんたちが入って来たのがわかった途端、彼らは出ていってしまう。
それを観ていると、「韓国らしくて微笑ましいなぁ~」と思いつつ、どうせなら、街場に乱立しているラブホに行けば?とも思ってしまう。
だが、今のソウル、ラブホはかなりお高くなっており、小金持ちでなければ、ホイホイと使いにくいのかもしれない。
それに比べれば、찜질방は安いし、ある程度、周りの人も暗黙の了解でプライバシーを守ってくれたりもするから、お金が無い若い二人にとっては、決して悪い場所ではないのだろう。
そして、そこには、若者の働く場所が年々厳しくなっている韓国社会の姿もまた、透けて見えてくるように思えるのだった。

これは至極便利な施設なので、よく行く街角ではどこに찜질방があるか、なるべくチェックしている。
ソウルでは強行スケジュールに陥ることが多いので、できるだけ昼寝の時間を設けて、無理をしないように心がけている。
韓国には特に昼寝の習慣はないが、ある程度、融通が効く時間を取れるようであれば、普通の勤め人でも寝ていたりする。
連続して労働するよりも、間に休む時間をきちんと置いた方が作業効率が良くなることは、かなり前から証明されていることだが、日本では無理な連続勤務が美徳であり当然、みたいなところがあるし、東京ではろくに休むこともできない。
三十分でいいから、熟睡できる施設が街場にあればいいのに、と昔からよく思う。
そんな訳で、ソウル某所にある찜질방でも、よく昼寝していることを知り合いの俳優氏に話したら、「ギョッ」とされて引かれたことがあった。
理由を尋ねたら、そこの男湯はゲイ・ピープルの発展場として有名で、痴漢行為も頻繁だから要注意であるという。
そんなことを今更言われても困るわけだが、男同士が誘い合っているような場に遭遇したことはないし、ごく普通の勤め人たちもたくさん来ている。
該当するような人がいるのだろうかと、一度観察したことがあるけれど、全くわからなかった。
一般に、韓国の찜질방には、木炭サウナだとか岩塩サウナだとかが設けてあるのだが、これは一種の個室になっていて、時間帯がうまく合えば、ほとんど貸切状態だ。
みんながゴロ寝する大広間も、概して薄暗い。
そのためか、「ゲイがどったらこったら」というよりも、以前から若いカップルが手軽な愛を交わすための、お手軽施設になっていたりする。
さすがに堂々と「本番」やっているところを見たことはないが、密室の片隅で、ラブラブの二人を見ることは珍しくない。
その部屋への闖入者が男の場合、「見ない、気にしない」フリをするのが暗黙の了解だったりするから、若い二人の熱~い愛が交わされる横で、サラリーマンのおっさんがイビキをかいて眠る光景は、まるで今村昌平の映画の1シーンのようで、結構笑えるのだった。
だが、闖入者がおばさんたちだとこうはいかない。
彼女たちもとりあえず知らんふりはしているけど、おしゃべりに夢中にみせかけつつ、奥の二人に対して、ビリビリと凄まじい視線を放射する。
そのエネルギーは、あまりに強力なので、同じ部屋にいると辛いくらいだ。
結果、カップルはすごすごと退散し、おばちゃんたちは何事もなかったようにおしゃべりを続ける。
だが、それは要領の悪いカップルの話であって、大体、おばさんたちが入って来たのがわかった途端、彼らは出ていってしまう。
それを観ていると、「韓国らしくて微笑ましいなぁ~」と思いつつ、どうせなら、街場に乱立しているラブホに行けば?とも思ってしまう。
だが、今のソウル、ラブホはかなりお高くなっており、小金持ちでなければ、ホイホイと使いにくいのかもしれない。
それに比べれば、찜질방は安いし、ある程度、周りの人も暗黙の了解でプライバシーを守ってくれたりもするから、お金が無い若い二人にとっては、決して悪い場所ではないのだろう。
そして、そこには、若者の働く場所が年々厳しくなっている韓国社会の姿もまた、透けて見えてくるように思えるのだった。

Vol.376 「老けたけど、それもまた良し」 / 고수 [韓国俳優]
どういう風の吹き回しか、『초능력자/超能力者』が日本で公開されたので観に行く。
このキッチュな映画の感想は他の方々にお任せするとして、つくづく思ったのは、「고수がやっぱり老けたな」ということだった。
この作品の後に公開された『고지전/高地戦』では、もっと老けていたりする。
고수を初めて知ったのはTVドラマではなく、映画初主演作『サム/썸』が2004年に韓国で公開された時だったが、関心は彼よりも、장윤현監督の久かたの作品である、ということの方だった。
当時、「고수」と言われても全くピンと来ず、知り合いの韓国人女性に尋ねたところ、当時TVドラマで人気が出ている若手、ということではあった。
キャリアを調べてみるとかなり浅いので、ちょっと意地悪く「人気があるって、ホントですか?」とシツコク追求してみると、バツが悪そうに「よく分からない」と本音が返って来る。
でも、一般の認識はそんなもんであり、それが韓国における【普通の生活】というものだろう。
この時期の고수はいろんな意味で非常に若く、映画ではヘンな髪型だったこともあってか、ちょっと特異な印象を受けた。
演技に深さや骨太さに欠けるが、筋の良さは感じさせたので、「今後、チャンスに恵まれれば伸びるんじゃないのかな~」などと思いながら映画を観ていたのだった。
しかし、何よりも一番特徴的だったのは、韓国の若者間で顕著になり始めた「草食系男子」を体現するような若いスターが登場した、ということである。
この表現が適切か否かは分からないが、いい意味で「ナヨナヨ」、ヘンにマッチョさを誇らない繊細さに、ちょっと好感を持ったのであった。
残念ながら、この『サム/썸』はあまりヒットしたとも、評判になったとも言えなかった。
だからという訳ではないだろうが、しばらく고수の姿は韓国のスクリーンから消えることになる。
それから時を経て、彼を久しぶりに観たのは、2009年の『白夜行/백야행』だったが、愕然とした。
なぜなら、彼の風貌があまりにも老けていたからである。
そのお陰で私の知人によく似ていることにも気がついた(どうでもいいけど)。
고수が兵役、というか公益勤務につき、シャバに復帰後、演劇(東崇劇場恒例のやつ)に出ていたことは聞いていたので、チャラい流行りもの芸能人から脱出する計画を実行し始めたんだろう、とは想像していたが、やっぱり、その変わり様には驚いた。
勤め先が芸能関係者が近所でひしめく某区役所、毎日家に帰れる「公益勤務」といっても、何をやっていたのか知らないので、彼の変貌ぶりがそこに影響されたのか否かはわからないけど、ぜんぜん違う人にしか見えなかったのである。
でも、よーく考えてみれば、彼が巷で最初に注目された時期は、本人の志向よりも、業界の偉い人達の意向に沿った芸能界デビューだったろうから、実は「激老け」の고수とは、本来の「地」に近いのかもしれない、とも思うのだった。
その後、コンスタントに映画俳優としてのキャリアを積み始め、日本で2012年秋公開予定の戦争大作『고지전/高地戦』に至るワケだが、この作品では「激老け」ぶりに拍車がかかり、ホント、「韓国の街角によくいる、おっさん」である(役柄上、まあ正しいワケだが)。
共演の신하균や류승수の方が、若く見えるくらいだが、歳をあらためて調べてみると、고수の方がやっぱり若かったりする。
しかし、これはこれでいいと思う。
芸能人がデビュー当時、本人の望まないイメージで売りさだれてしまい、成功しても、後々まで苦しむ、ということはよくあることだ。
それは、意欲ある人ほど苦痛な事だろう。
고수の場合、「おっさん化」したことで、役の可能性は拡がっただろうから、戦略として正しいような気もする。
これからも「とっつあん」キャラで邁進し、さらなるキャリアを目指すのも、ありなんじゃないのかな?

このキッチュな映画の感想は他の方々にお任せするとして、つくづく思ったのは、「고수がやっぱり老けたな」ということだった。
この作品の後に公開された『고지전/高地戦』では、もっと老けていたりする。
고수を初めて知ったのはTVドラマではなく、映画初主演作『サム/썸』が2004年に韓国で公開された時だったが、関心は彼よりも、장윤현監督の久かたの作品である、ということの方だった。
当時、「고수」と言われても全くピンと来ず、知り合いの韓国人女性に尋ねたところ、当時TVドラマで人気が出ている若手、ということではあった。
キャリアを調べてみるとかなり浅いので、ちょっと意地悪く「人気があるって、ホントですか?」とシツコク追求してみると、バツが悪そうに「よく分からない」と本音が返って来る。
でも、一般の認識はそんなもんであり、それが韓国における【普通の生活】というものだろう。
この時期の고수はいろんな意味で非常に若く、映画ではヘンな髪型だったこともあってか、ちょっと特異な印象を受けた。
演技に深さや骨太さに欠けるが、筋の良さは感じさせたので、「今後、チャンスに恵まれれば伸びるんじゃないのかな~」などと思いながら映画を観ていたのだった。
しかし、何よりも一番特徴的だったのは、韓国の若者間で顕著になり始めた「草食系男子」を体現するような若いスターが登場した、ということである。
この表現が適切か否かは分からないが、いい意味で「ナヨナヨ」、ヘンにマッチョさを誇らない繊細さに、ちょっと好感を持ったのであった。
残念ながら、この『サム/썸』はあまりヒットしたとも、評判になったとも言えなかった。
だからという訳ではないだろうが、しばらく고수の姿は韓国のスクリーンから消えることになる。
それから時を経て、彼を久しぶりに観たのは、2009年の『白夜行/백야행』だったが、愕然とした。
なぜなら、彼の風貌があまりにも老けていたからである。
そのお陰で私の知人によく似ていることにも気がついた(どうでもいいけど)。
고수が兵役、というか公益勤務につき、シャバに復帰後、演劇(東崇劇場恒例のやつ)に出ていたことは聞いていたので、チャラい流行りもの芸能人から脱出する計画を実行し始めたんだろう、とは想像していたが、やっぱり、その変わり様には驚いた。
勤め先が芸能関係者が近所でひしめく某区役所、毎日家に帰れる「公益勤務」といっても、何をやっていたのか知らないので、彼の変貌ぶりがそこに影響されたのか否かはわからないけど、ぜんぜん違う人にしか見えなかったのである。
でも、よーく考えてみれば、彼が巷で最初に注目された時期は、本人の志向よりも、業界の偉い人達の意向に沿った芸能界デビューだったろうから、実は「激老け」の고수とは、本来の「地」に近いのかもしれない、とも思うのだった。
その後、コンスタントに映画俳優としてのキャリアを積み始め、日本で2012年秋公開予定の戦争大作『고지전/高地戦』に至るワケだが、この作品では「激老け」ぶりに拍車がかかり、ホント、「韓国の街角によくいる、おっさん」である(役柄上、まあ正しいワケだが)。
共演の신하균や류승수の方が、若く見えるくらいだが、歳をあらためて調べてみると、고수の方がやっぱり若かったりする。
しかし、これはこれでいいと思う。
芸能人がデビュー当時、本人の望まないイメージで売りさだれてしまい、成功しても、後々まで苦しむ、ということはよくあることだ。
それは、意欲ある人ほど苦痛な事だろう。
고수の場合、「おっさん化」したことで、役の可能性は拡がっただろうから、戦略として正しいような気もする。
これからも「とっつあん」キャラで邁進し、さらなるキャリアを目指すのも、ありなんじゃないのかな?

「日本では誰が観るの?」な、超ドメステック朝鮮戦争モノ。
レプリカですが、北朝鮮軍のT34/85が遂に登場します!
レプリカですが、北朝鮮軍のT34/85が遂に登場します!
Vol.375 ウソとマコトのせめぎ合い 『カエル少年失踪殺人事件』 [韓国映画]
映画にしても、TVにしても、実録モノは難しい。
真実と見せつつも、「虚構は虚構」であるというルールを守らなければならないからだ。
2012年3月24日、韓国の実録モノ 『아이들... (カエル少年失踪殺人事件)』が日本で公開された。
韓国での公開は約一年前のことだが、観客動員数が180万人超えになっているので、内容と時期を考えれば、まあまあ、といった感じだろうか。
私が観た東京の某劇場では「デジタル上映」という表示が出ていたのでイヤな予感がしたが、やっぱりBLUE-RAY上映っぽかった(あくまでも個人の印象です。気になる人は劇場か配給会社にお訊ね下さい)。
ロードショーと名打った興行でBLUE-RAY上映やっちゃうのは、以前からネットなどでも物議を醸し出しているが、フィルムやDLPにこだわる客からすれば、確かに詐欺みたいなものだ。
だが、「劇場興行」自体が形骸化している今、『아이들... (カエル少年失踪殺人事件)』のような作品が一応形式だけかもしれないが、日本の劇場で掛かったことは素直に喜ぶべきことかもしれない。
なにせ、出てくるのは박용우を筆頭に、류승룡、성동일、성지루と絵に描いたようなおっさんたちばかり(シブイともいう)、しかも、ネタは少年が5人も皆殺しにされた未解決事件であり、その背後には韓国現代社会のタブーが見え隠れするという内容だからだ。
「韓流」というイカれたライン(主流ともいう)から明らかに外れているワケだが、モデルになった事件に関心のある方、韓国の現代史に関心のある方にとっては、なかなか面白い作品だろう。
特に事件当時、大邱や蔚山辺りには、技術指導やらなんやらで大勢の日本の人たちが滞在していただろうから、この映画を観て感慨深い思いにとらわれた方々もきっといたと思う。
映画の撮影は最後のクレジットを観た限りでは、全羅道各地、特に全羅北道の全州市を中心に行われたようで、なんかそこら辺も韓国的因縁深さを感じさせたのであった(といいつつも、全州市は映画ロケの定番地だけど)。
映画の出来もなかなかいい。
カット数を減らし、トリッキーな移動撮影も極力廃しと、俳優たちの演技をじっくり見せる構成になっており、おそらくだけど、脚本取材の中で得た新たな情報を、公表できる範囲でうまく取り込んでいるので、リアルなところはリアルである。
特に、子供たちの遺体が発見されて、科学鑑定が行われる一連は、真実味があって一番の見所だろう。
最後も救いはないが感動的だ。
劇中、被害者の母親の電話での対応が問題となるのだが、これが非常に冴えた伏線として収斂する。
ただ、惜しむらくは実録モノとしてのリアリティと、劇映画としてのフィクション性の折り合いがイマイチ、ゆえに事件についても、登場人物についても、彼ら各々のドラマとしても、突っ込みが足りず、中途半端な印象が最後まで否めなかった。
特に真犯人に迫る部分は、ちょっとやり過ぎというか、作り手側最大の妥協点みたいな部分でもあって、一気に観る側を白けさせる。
だから、傑作や秀作の領域まで、あと十二、三歩といった感じであった。
その残念ぶりを思うとき、どうしてもこの映画と比較してしまうのが、ポン・ジュノの『살인의 추억(殺人の追憶)』だ。
この映画については、色んなところで褒め過ぎたので詳しくは書かないが、虚構と実録の見事な融和、という作劇センスの点でも、やっぱり傑出した映画であることを改めて再認識させられたのであった。
『殺人の追憶』はかなり強い体制批判、特に国益優先の政府へ対する怒りが含まれた作品だったけど、『カエル少年失踪殺人事件』はそれよりも、他人の悲劇で飯を食うマスコミや行政に関わる人々への批判がかなり込められていたように見受けられる(それもまた遠まわしの体制批判でもあるが…)。
この映画の製作にあたっては、新たに取材が行われ、それが活かされているという話だが、当然ながら、『殺人の追憶』がそうであったように、この『カエル少年失踪殺人事件』も驚愕の真実が明かされる訳ではない。
犯人についてはかなり具体的な線が示されるものの、100%信じてしまうことは危険でもある。
そこら辺も『殺人の追憶』と同じだ。
だけど、ところどころに、はっきりとは表明できない事実へのメタファーを感じさせる部分もあるので、これから観る人は、そこら辺を読み取ってみると面白いと思う。

真実と見せつつも、「虚構は虚構」であるというルールを守らなければならないからだ。
2012年3月24日、韓国の実録モノ 『아이들... (カエル少年失踪殺人事件)』が日本で公開された。
韓国での公開は約一年前のことだが、観客動員数が180万人超えになっているので、内容と時期を考えれば、まあまあ、といった感じだろうか。
私が観た東京の某劇場では「デジタル上映」という表示が出ていたのでイヤな予感がしたが、やっぱりBLUE-RAY上映っぽかった(あくまでも個人の印象です。気になる人は劇場か配給会社にお訊ね下さい)。
ロードショーと名打った興行でBLUE-RAY上映やっちゃうのは、以前からネットなどでも物議を醸し出しているが、フィルムやDLPにこだわる客からすれば、確かに詐欺みたいなものだ。
だが、「劇場興行」自体が形骸化している今、『아이들... (カエル少年失踪殺人事件)』のような作品が一応形式だけかもしれないが、日本の劇場で掛かったことは素直に喜ぶべきことかもしれない。
なにせ、出てくるのは박용우を筆頭に、류승룡、성동일、성지루と絵に描いたようなおっさんたちばかり(シブイともいう)、しかも、ネタは少年が5人も皆殺しにされた未解決事件であり、その背後には韓国現代社会のタブーが見え隠れするという内容だからだ。
「韓流」というイカれたライン(主流ともいう)から明らかに外れているワケだが、モデルになった事件に関心のある方、韓国の現代史に関心のある方にとっては、なかなか面白い作品だろう。
特に事件当時、大邱や蔚山辺りには、技術指導やらなんやらで大勢の日本の人たちが滞在していただろうから、この映画を観て感慨深い思いにとらわれた方々もきっといたと思う。
映画の撮影は最後のクレジットを観た限りでは、全羅道各地、特に全羅北道の全州市を中心に行われたようで、なんかそこら辺も韓国的因縁深さを感じさせたのであった(といいつつも、全州市は映画ロケの定番地だけど)。
映画の出来もなかなかいい。
カット数を減らし、トリッキーな移動撮影も極力廃しと、俳優たちの演技をじっくり見せる構成になっており、おそらくだけど、脚本取材の中で得た新たな情報を、公表できる範囲でうまく取り込んでいるので、リアルなところはリアルである。
特に、子供たちの遺体が発見されて、科学鑑定が行われる一連は、真実味があって一番の見所だろう。
最後も救いはないが感動的だ。
劇中、被害者の母親の電話での対応が問題となるのだが、これが非常に冴えた伏線として収斂する。
ただ、惜しむらくは実録モノとしてのリアリティと、劇映画としてのフィクション性の折り合いがイマイチ、ゆえに事件についても、登場人物についても、彼ら各々のドラマとしても、突っ込みが足りず、中途半端な印象が最後まで否めなかった。
特に真犯人に迫る部分は、ちょっとやり過ぎというか、作り手側最大の妥協点みたいな部分でもあって、一気に観る側を白けさせる。
だから、傑作や秀作の領域まで、あと十二、三歩といった感じであった。
その残念ぶりを思うとき、どうしてもこの映画と比較してしまうのが、ポン・ジュノの『살인의 추억(殺人の追憶)』だ。
この映画については、色んなところで褒め過ぎたので詳しくは書かないが、虚構と実録の見事な融和、という作劇センスの点でも、やっぱり傑出した映画であることを改めて再認識させられたのであった。
『殺人の追憶』はかなり強い体制批判、特に国益優先の政府へ対する怒りが含まれた作品だったけど、『カエル少年失踪殺人事件』はそれよりも、他人の悲劇で飯を食うマスコミや行政に関わる人々への批判がかなり込められていたように見受けられる(それもまた遠まわしの体制批判でもあるが…)。
この映画の製作にあたっては、新たに取材が行われ、それが活かされているという話だが、当然ながら、『殺人の追憶』がそうであったように、この『カエル少年失踪殺人事件』も驚愕の真実が明かされる訳ではない。
犯人についてはかなり具体的な線が示されるものの、100%信じてしまうことは危険でもある。
そこら辺も『殺人の追憶』と同じだ。
だけど、ところどころに、はっきりとは表明できない事実へのメタファーを感じさせる部分もあるので、これから観る人は、そこら辺を読み取ってみると面白いと思う。

Vol.374 チャン・ジン今昔物語…? 『리턴 투 햄릿(リターン・トゥ・ハムレット)』 [韓国カルチャー]
地下鉄4号線『헤화』駅から徒歩で5分くらいの場所にある동숭アートセンター・동숭ホールに行く。
ここで2011年末から始まったイベント『연극열전4』の第一弾、장진演出の『리턴 투 햄릿』を観るためだ。
동숭アートセンターは마로니에公園脇にある、아르코芸術劇場と並んで、대학로界隈では大きく、かつ有名な劇場の一つであり、以前はアート系映画の上映なんかも行われていた。
上演される演目は、俳優조재현がディレクションを担当していることでも有名で、彼自身も、ここで舞台に立つことがある。
久しぶりにこの동숭アートセンター・동숭ホールに赴いたワケだけど、少し前に大改装が行われ、前とは打って変わって、なにやら立派な佇まいに変身していた。
この劇場はVIP席でなくとも座席が舞台に近く、お得感があり、奥行きもそこそこあるので、結構派手な演出にも耐える、なかなかいい劇場だ。
今回上演される『리턴 투 햄릿』は、장진のオリジナル戯曲というわけではないらしく、日本で誰かさんたちが騒ぐような有名俳優も出ていない。
장진といえば、日本でも固定ファンがいるくらい映画監督しては有名だが、その作品中で飛び交う言葉の渦は、韓国人ですら辟易するくらいなので、韓国語および韓国そのものにかなり精通していないと理解が難しい。
でも、日本における現代演劇に近いシュールさも持ち合わせていて、それが韓国で人気になっている理由の一つなのかもしれない。
『리턴 투 햄릿』が初演されたのは1998年の事だったという。
それはまさに、諸々の韓国映画&韓国ドラマに芸能人たちが外に向けてブレイクする寸前の頃だ。
当時、日本における장진のイメージといえば、アングラの舞台演出家兼戯曲家兼映画監督+ちょっと俳優も…といった感じで、彼のことを語れる人は、たぶん50人いなかったんじゃないだろうか。
そもそも「韓流」などという、タチの悪い疾病が日本で吹き荒れるなんて、誰も想像出来なかった時代である。
『리턴 투 햄릿』初演は、정재영に신하균、이문식…という、今では現実不可能に近いような豪華キャスティングで上演が行われたという。
だから、この『리턴 투 햄릿』という演目を、今、この劇場で上演することは、自身が有名になりすぎてしまった장진の、原点回帰だったのかもしれない。
장진の舞台や映画は一見あざといが、冷静に観れば、よく比較される日本の三谷幸喜よりも、実はリアリストではないのか?という気もする。
作品で描かれるのは市井の人々であり、普通の日常だ。
それを派手なレトリックやら、へんてこなキャラ続出作戦で、別の形にカモフラージュしているのに過ぎないのではないだろうか?
私が初めて장진の舞台を観たのは、色んな意味で有名な『택시 드리벌』だったけど、描くものは、巷の貧しい普通の人々だった。
『택시 드리벌』を観たのも、同じ동숭アートセンター、目的は「生정재영」だったのだが、戯曲は意外とリアル志向というか、決してハチャメチャばかりの内容ではなかった記憶がある。
夜中、タクシーに乗ると、本業はミュージシャンその他である運転手に出会うことは、韓国でも決して珍しくないが、『택시 드리벌』は、そうした業界人たちの「リアル」を写し取った舞台でもあったような気がする。
今回の『리턴 투 햄릿』も、ところどころ、장진らしいキッチュな演出や韓国ネタこそ出てくるが、地味なお話であり、そこには無常観すら漂う。
俳優や演出家という仕事は、仲間がいて、初めて成立する部分が大きい訳だけど、個々人そのものに商品価値が依存する職業でもある訳で、組織や会社勤めの立場に比べると、非常に孤独な仕事ではないかと、よく感じることがある。
そんな「リアル」を濃く内包した物語でもあったのだ。
この舞台で描かれたもう一つの事柄は、千秋楽を迎えた俳優たちの「不安」だろう。
俳優が千秋楽を迎えるということは、失業と失意の時であると共に、開放と期待の時でもあったりする。
『리턴 투 햄릿』で私が一番感じたことは、夢を糧にする生活の孤独さだった。
今回は、メジャーな演劇イベントの看板的演し物だから、出演者は皆いい俳優たちばかりだ。
ただ、そんな彼らの堅実な仕事ぶりを観ていると、どうしても장진という演出家は、男女共に「見た目」で俳優を選んでいる部分が結構あるんじゃなかろうか?とも思った。
共通する個性を選んだ結果、雰囲気や顔立ちが似てしまっているだけかもしれないけど…
舞台が終わると、장진自身によるレクチャーと質疑応答が始まる。
スタッフの顔色と時計を気にしながらも、なるべくギリギリまで観客の身勝手な質問に、忍耐強く静かに答えていたことが印象的だった。
でも、おかげで私は友人を、クソ寒い中、外で三十分も待たせてしまったのであった…

ここで2011年末から始まったイベント『연극열전4』の第一弾、장진演出の『리턴 투 햄릿』を観るためだ。
동숭アートセンターは마로니에公園脇にある、아르코芸術劇場と並んで、대학로界隈では大きく、かつ有名な劇場の一つであり、以前はアート系映画の上映なんかも行われていた。
上演される演目は、俳優조재현がディレクションを担当していることでも有名で、彼自身も、ここで舞台に立つことがある。
久しぶりにこの동숭アートセンター・동숭ホールに赴いたワケだけど、少し前に大改装が行われ、前とは打って変わって、なにやら立派な佇まいに変身していた。
この劇場はVIP席でなくとも座席が舞台に近く、お得感があり、奥行きもそこそこあるので、結構派手な演出にも耐える、なかなかいい劇場だ。
今回上演される『리턴 투 햄릿』は、장진のオリジナル戯曲というわけではないらしく、日本で誰かさんたちが騒ぐような有名俳優も出ていない。
장진といえば、日本でも固定ファンがいるくらい映画監督しては有名だが、その作品中で飛び交う言葉の渦は、韓国人ですら辟易するくらいなので、韓国語および韓国そのものにかなり精通していないと理解が難しい。
でも、日本における現代演劇に近いシュールさも持ち合わせていて、それが韓国で人気になっている理由の一つなのかもしれない。
『리턴 투 햄릿』が初演されたのは1998年の事だったという。
それはまさに、諸々の韓国映画&韓国ドラマに芸能人たちが外に向けてブレイクする寸前の頃だ。
当時、日本における장진のイメージといえば、アングラの舞台演出家兼戯曲家兼映画監督+ちょっと俳優も…といった感じで、彼のことを語れる人は、たぶん50人いなかったんじゃないだろうか。
そもそも「韓流」などという、タチの悪い疾病が日本で吹き荒れるなんて、誰も想像出来なかった時代である。
『리턴 투 햄릿』初演は、정재영に신하균、이문식…という、今では現実不可能に近いような豪華キャスティングで上演が行われたという。
だから、この『리턴 투 햄릿』という演目を、今、この劇場で上演することは、自身が有名になりすぎてしまった장진の、原点回帰だったのかもしれない。
장진の舞台や映画は一見あざといが、冷静に観れば、よく比較される日本の三谷幸喜よりも、実はリアリストではないのか?という気もする。
作品で描かれるのは市井の人々であり、普通の日常だ。
それを派手なレトリックやら、へんてこなキャラ続出作戦で、別の形にカモフラージュしているのに過ぎないのではないだろうか?
私が初めて장진の舞台を観たのは、色んな意味で有名な『택시 드리벌』だったけど、描くものは、巷の貧しい普通の人々だった。
『택시 드리벌』を観たのも、同じ동숭アートセンター、目的は「生정재영」だったのだが、戯曲は意外とリアル志向というか、決してハチャメチャばかりの内容ではなかった記憶がある。
夜中、タクシーに乗ると、本業はミュージシャンその他である運転手に出会うことは、韓国でも決して珍しくないが、『택시 드리벌』は、そうした業界人たちの「リアル」を写し取った舞台でもあったような気がする。
今回の『리턴 투 햄릿』も、ところどころ、장진らしいキッチュな演出や韓国ネタこそ出てくるが、地味なお話であり、そこには無常観すら漂う。
俳優や演出家という仕事は、仲間がいて、初めて成立する部分が大きい訳だけど、個々人そのものに商品価値が依存する職業でもある訳で、組織や会社勤めの立場に比べると、非常に孤独な仕事ではないかと、よく感じることがある。
そんな「リアル」を濃く内包した物語でもあったのだ。
この舞台で描かれたもう一つの事柄は、千秋楽を迎えた俳優たちの「不安」だろう。
俳優が千秋楽を迎えるということは、失業と失意の時であると共に、開放と期待の時でもあったりする。
『리턴 투 햄릿』で私が一番感じたことは、夢を糧にする生活の孤独さだった。
今回は、メジャーな演劇イベントの看板的演し物だから、出演者は皆いい俳優たちばかりだ。
ただ、そんな彼らの堅実な仕事ぶりを観ていると、どうしても장진という演出家は、男女共に「見た目」で俳優を選んでいる部分が結構あるんじゃなかろうか?とも思った。
共通する個性を選んだ結果、雰囲気や顔立ちが似てしまっているだけかもしれないけど…
舞台が終わると、장진自身によるレクチャーと質疑応答が始まる。
スタッフの顔色と時計を気にしながらも、なるべくギリギリまで観客の身勝手な質問に、忍耐強く静かに答えていたことが印象的だった。
でも、おかげで私は友人を、クソ寒い中、外で三十分も待たせてしまったのであった…

イラストはグズグズですが、内容は結構、オーソドックスです。
대학로では2012年4月8日まで。
Vol.373 なんてミニマムなミュージカル!『눈의 여인(雪の女)』 [韓国カルチャー]
大学路の裏路地にある、その小劇場は地下にあった。
えらく分かりにくい。
ここら辺は街並が古いままなので、なおさらである。
劇場に入って驚いた。
あまりにも狭いのだ。
小劇場とは概してそういうものだが、小学校の教室よりも狭いんじゃないのか!?みたいなその空間で果たして、ミュージカルが上演できるのか?とも思ってしまう。
ペラペラの折りたたみ椅子が隙間なく並べられ、座席数は、せいぜい60~70席程度だろう。
でも、満席だ。
この盛況ぶりもまた、オドロキだった。
なぜ、この芝居を観に行ったかといえば、知人の俳優氏が出演していたからである。
以前から、ちょこちょこと、メジャー映画に端役で出てもいて、俳優としては、立派な中堅だ。
だが、活動のスタンスはあくまでも舞台。
映画では実力がよくわからないので、一度舞台での彼を観てみたかったのだ。
見かけが厳ついので、怖い人やら中国人(!?)役を映画でふられちゃう彼だが、実際はインテリの紳士かつ、おちゃめだがノーブルな男である。
育ちの良さを感じさせる人柄と古風な顔立ちは、朝鮮王朝時代に権力闘争を嫌って田舎に引きこもった学者連中や、傾いた若い両班たちを連想させる。
今回はミュージカル、ということなので、一体どんな芝居を見せてくれるか、想像がつかない(でも、歌ってくれたら嬉しいな~)
そんな訳で、『눈의 여인』を観に行くことになったのだが、まずは芝居の中身よりも、劇場の小ささに驚かされることとなった。
物語は、ヒロインが絶唱した後、ピストルで頭を打ち抜く、という幕から始まる。
でも、端的に言ってしまうと、男女のせこい痴話。
大人になっても、男女関係に直面した途端、幼児化してしまう人間たちの姿を、それなりによく捉えていた戯曲だったが、大時代的な内容でもある。
劇中劇としてアンデルセンの「雪の女王」が同時進行するようになっており、この古典を現代風にアレンジした意欲的な演劇、ということのようだ。
それで「눈의 여인=雪の女」という題名になっているんだろうけど、最後のオチを観て「ダジャレで雪の女かい!」と突っ込みを入れたくなった。
ミュージカルというよりも歌の場面が少し多い普通の演劇といった感じだが、まあ、こういうのもありなんだろう。
客席と舞台がとにかく近いので、観客としては俳優たちの緊張ぶりが、ビリビリと伝わって来るし、演じる側としても客の視線が間近で飛んでくるから、手が抜けない。
映画やTVは、どちらかというとスタッフと観客の化かし合い、睨み合いだと思うのだが、余計な仲介者を排した緊張感とライブ感覚あふれる小さな舞台は、俳優たちにとって、たまらない魅力なのかもしれない。
ただ、気になってしまったのは、幕間が丸見えなので、出番を待つ間、俳優たちの、例えば「次の段取りどうしよう~」みたいな、演技以外の生臭いその他がどうしても透けて見えてしまうことだった。
肝心の某俳優氏は残念ながら歌わなかった(残念!)
でも、腹黒い役をひょうひょうと柔軟に好演している。
映画では、演出側の問題か、ブツブツ切れてしまう演技が、ちょっと気になっていたのだが、舞台では打って変わって、軽快で伸びやかだ。
それは素の彼から受ける印象そのままでもある。
ルックスがルックスなので、映画でステレオ・タイプの役回りを振られてしまうことは、何事もワンパターンになりがちな韓国では仕方ないし、かといって、彼が日本の作品に抜擢されたり、もてはやされたりすることはあり得ないだろう。
だけど、私個人が映画を撮る機会があったなら、是非、出演して欲しいと、つくづく思うのであった。

えらく分かりにくい。
ここら辺は街並が古いままなので、なおさらである。
劇場に入って驚いた。
あまりにも狭いのだ。
小劇場とは概してそういうものだが、小学校の教室よりも狭いんじゃないのか!?みたいなその空間で果たして、ミュージカルが上演できるのか?とも思ってしまう。
ペラペラの折りたたみ椅子が隙間なく並べられ、座席数は、せいぜい60~70席程度だろう。
でも、満席だ。
この盛況ぶりもまた、オドロキだった。
なぜ、この芝居を観に行ったかといえば、知人の俳優氏が出演していたからである。
以前から、ちょこちょこと、メジャー映画に端役で出てもいて、俳優としては、立派な中堅だ。
だが、活動のスタンスはあくまでも舞台。
映画では実力がよくわからないので、一度舞台での彼を観てみたかったのだ。
見かけが厳ついので、怖い人やら中国人(!?)役を映画でふられちゃう彼だが、実際はインテリの紳士かつ、おちゃめだがノーブルな男である。
育ちの良さを感じさせる人柄と古風な顔立ちは、朝鮮王朝時代に権力闘争を嫌って田舎に引きこもった学者連中や、傾いた若い両班たちを連想させる。
今回はミュージカル、ということなので、一体どんな芝居を見せてくれるか、想像がつかない(でも、歌ってくれたら嬉しいな~)
そんな訳で、『눈의 여인』を観に行くことになったのだが、まずは芝居の中身よりも、劇場の小ささに驚かされることとなった。
物語は、ヒロインが絶唱した後、ピストルで頭を打ち抜く、という幕から始まる。
でも、端的に言ってしまうと、男女のせこい痴話。
大人になっても、男女関係に直面した途端、幼児化してしまう人間たちの姿を、それなりによく捉えていた戯曲だったが、大時代的な内容でもある。
劇中劇としてアンデルセンの「雪の女王」が同時進行するようになっており、この古典を現代風にアレンジした意欲的な演劇、ということのようだ。
それで「눈의 여인=雪の女」という題名になっているんだろうけど、最後のオチを観て「ダジャレで雪の女かい!」と突っ込みを入れたくなった。
ミュージカルというよりも歌の場面が少し多い普通の演劇といった感じだが、まあ、こういうのもありなんだろう。
客席と舞台がとにかく近いので、観客としては俳優たちの緊張ぶりが、ビリビリと伝わって来るし、演じる側としても客の視線が間近で飛んでくるから、手が抜けない。
映画やTVは、どちらかというとスタッフと観客の化かし合い、睨み合いだと思うのだが、余計な仲介者を排した緊張感とライブ感覚あふれる小さな舞台は、俳優たちにとって、たまらない魅力なのかもしれない。
ただ、気になってしまったのは、幕間が丸見えなので、出番を待つ間、俳優たちの、例えば「次の段取りどうしよう~」みたいな、演技以外の生臭いその他がどうしても透けて見えてしまうことだった。
肝心の某俳優氏は残念ながら歌わなかった(残念!)
でも、腹黒い役をひょうひょうと柔軟に好演している。
映画では、演出側の問題か、ブツブツ切れてしまう演技が、ちょっと気になっていたのだが、舞台では打って変わって、軽快で伸びやかだ。
それは素の彼から受ける印象そのままでもある。
ルックスがルックスなので、映画でステレオ・タイプの役回りを振られてしまうことは、何事もワンパターンになりがちな韓国では仕方ないし、かといって、彼が日本の作品に抜擢されたり、もてはやされたりすることはあり得ないだろう。
だけど、私個人が映画を撮る機会があったなら、是非、出演して欲しいと、つくづく思うのであった。

Vol.372 歌う安重根 ミュージカル『영웅(英雄)』 [韓国カルチャー]
2011年12月6日から翌年の1月7日まで、ソウルにある国立劇場해오름劇場で、純韓国製(と言っていいかな?)ミュージカル『영웅』の公演が行われた。
この劇場で上映される演目は大掛かりだったり、著名な公演だったりするので、入場料は高いけど、結構、要チェックだったりする。
ソウルはかなり前から、東京の次くらいにミュージカルが上演されている街と言われていたが、いまでは、おそらく逆転していると思う。
ただ、ちょっと残念というか、イマイチ、パッとしないのは、韓国人の手で書かれた、韓国らしいオリジナルをあまり見かけないなぁ、ということだろうか。
『영웅』は、今後、そうした穴を埋めるべき定番になる可能性もある作品なのだが、日本人から観てやっぱり特異なのは、ナショナリズム丸出しのテーマを、それと矛盾しているようなバタ臭い手法で描いていることだ。
そして、イマドキの韓国人にとっては、耳タコ状態の「ウンザリ」歴史ネタかと思っていたのだが、公演当日、送り迎えのシャトルバスは、満席の大混雑。
若い観客が大勢いたのは驚いたけど、家族連れも目立つので、おそらく興行側は、団体向けマーケティングを展開したんじゃないだろうか。
私は外国人割引で予約を入れていたので、チケット売り場で日本のパスポートを提示しなければいけなかったが、当然ながら、なんの問題も起こらない。
座席に着いて舞台に目をやれば、巨大な緞帳には「영웅」とタイトルが投影され、何やらゴーン、ゴーンと鐘の音が鳴り続けている。
上演が始まると、女の子を中心としたグループが奇声を上げながら、一斉に大騒ぎを始めた。
どうやら、安重根演じる정성화の追っかけらしい。
なあるほど。
妙に若い観客がウロウロしていたのは、これも大きな理由なんだろう。
このミュージカル『영웅』で描かれるものは、光復節後の韓国で「常識」として語られている歴史観であって、日本人として新しい発見は何もない…というよりも、発見しようがない。
舞台美術や、衣装デザイン、肝心の音楽も、お金はかかっているが、意外と地味で凡庸だったりする。
街中で抗日の英雄たちを追い回す「日帝の犬ども」は、まるでB級アクション映画に出てくるゲシュタポか、KGBみたいなので、ちょっと笑ってしまったが、彼らが高らかに歌いあげる「♪ちょうせんじ~ん(日本語です)」という歌詞が、日本人として、ちょっと気になった。
韓国語の台詞と歌詞は英訳されて、舞台両脇の電光掲示板に同時進行で流されるようになっているが、どうせなら、日本語字幕や中国語字幕も付けるべきなんじゃないのか??
でも、この掲示板、トンデモな位置に掲げられていて、字幕を読もうとすると、舞台で何をやっているのか、全然見えなくなる。
これじゃ、一部韓国人の大好きな、英語圏観客が来ても困るだけだろう。
劇中の伊藤博文は準主役の扱いで、ちゃんとソロで歌う幕も用意されているが、その姿は「悪の首領+すけべな爺さん」。
対する安重根とその仲間たちは、最初から最後まで「高潔な人物」だが、立派過ぎてなんだか、よくわからない。
その不自然で硬直した様子は、街角で佇むカーネル・サンダースの人形を連想させた。
あくまでもお話は、安重根や伊藤博文、その個々の人生や人間性よりも、別の目的に偏向したゴリゴリのお約束に沿って、進んでゆくのだった。
このミュージカルを観た韓国の子供たちの多くは、これが「真実」だと思い込み、「立派」な大人になっちゃうのかな…
今の韓国ならば、若くて野心的で、気骨と才能を備えたクリエイターたちがいるはずだから、全く別の角度で、新しい安重根と伊藤博文、そして歴史的背景を描くことが、いくらでもできるんじゃないかと思うのだけど、それはやってはいけない、ヤバイ事なんだろう。
でも、それならそれで開き直って、「韓国のブレない信念&方針」ということで、このまま堂々とTOKYO公演でもやれば?とも思うのだった。
NYじゃなくてね。
この劇場で上映される演目は大掛かりだったり、著名な公演だったりするので、入場料は高いけど、結構、要チェックだったりする。
ソウルはかなり前から、東京の次くらいにミュージカルが上演されている街と言われていたが、いまでは、おそらく逆転していると思う。
ただ、ちょっと残念というか、イマイチ、パッとしないのは、韓国人の手で書かれた、韓国らしいオリジナルをあまり見かけないなぁ、ということだろうか。
『영웅』は、今後、そうした穴を埋めるべき定番になる可能性もある作品なのだが、日本人から観てやっぱり特異なのは、ナショナリズム丸出しのテーマを、それと矛盾しているようなバタ臭い手法で描いていることだ。
そして、イマドキの韓国人にとっては、耳タコ状態の「ウンザリ」歴史ネタかと思っていたのだが、公演当日、送り迎えのシャトルバスは、満席の大混雑。
若い観客が大勢いたのは驚いたけど、家族連れも目立つので、おそらく興行側は、団体向けマーケティングを展開したんじゃないだろうか。
私は外国人割引で予約を入れていたので、チケット売り場で日本のパスポートを提示しなければいけなかったが、当然ながら、なんの問題も起こらない。
座席に着いて舞台に目をやれば、巨大な緞帳には「영웅」とタイトルが投影され、何やらゴーン、ゴーンと鐘の音が鳴り続けている。
上演が始まると、女の子を中心としたグループが奇声を上げながら、一斉に大騒ぎを始めた。
どうやら、安重根演じる정성화の追っかけらしい。
なあるほど。
妙に若い観客がウロウロしていたのは、これも大きな理由なんだろう。
このミュージカル『영웅』で描かれるものは、光復節後の韓国で「常識」として語られている歴史観であって、日本人として新しい発見は何もない…というよりも、発見しようがない。
舞台美術や、衣装デザイン、肝心の音楽も、お金はかかっているが、意外と地味で凡庸だったりする。
街中で抗日の英雄たちを追い回す「日帝の犬ども」は、まるでB級アクション映画に出てくるゲシュタポか、KGBみたいなので、ちょっと笑ってしまったが、彼らが高らかに歌いあげる「♪ちょうせんじ~ん(日本語です)」という歌詞が、日本人として、ちょっと気になった。
韓国語の台詞と歌詞は英訳されて、舞台両脇の電光掲示板に同時進行で流されるようになっているが、どうせなら、日本語字幕や中国語字幕も付けるべきなんじゃないのか??
でも、この掲示板、トンデモな位置に掲げられていて、字幕を読もうとすると、舞台で何をやっているのか、全然見えなくなる。
これじゃ、一部韓国人の大好きな、英語圏観客が来ても困るだけだろう。
劇中の伊藤博文は準主役の扱いで、ちゃんとソロで歌う幕も用意されているが、その姿は「悪の首領+すけべな爺さん」。
対する安重根とその仲間たちは、最初から最後まで「高潔な人物」だが、立派過ぎてなんだか、よくわからない。
その不自然で硬直した様子は、街角で佇むカーネル・サンダースの人形を連想させた。
あくまでもお話は、安重根や伊藤博文、その個々の人生や人間性よりも、別の目的に偏向したゴリゴリのお約束に沿って、進んでゆくのだった。
このミュージカルを観た韓国の子供たちの多くは、これが「真実」だと思い込み、「立派」な大人になっちゃうのかな…
今の韓国ならば、若くて野心的で、気骨と才能を備えたクリエイターたちがいるはずだから、全く別の角度で、新しい安重根と伊藤博文、そして歴史的背景を描くことが、いくらでもできるんじゃないかと思うのだけど、それはやってはいけない、ヤバイ事なんだろう。
でも、それならそれで開き直って、「韓国のブレない信念&方針」ということで、このまま堂々とTOKYO公演でもやれば?とも思うのだった。
NYじゃなくてね。

Vol.371 プチ猫ブームか?/『고양이 춤』 [韓国映画]
どうやら日本では、韓国で猫が毛嫌いされ、誰も飼っていないかのような印象を持たれているらしい。
ネット上にはそんなネタばっかりだし、日本の「韓流切り込み隊」である某TV局その他も、そんなニュースを流していたような記憶がある。
だが、果たしてそうなのか?
確かに日本に比べれば圧倒的に飼育数は少ないように見える。
野良猫だってあまり見かけない。
でも、昔から飼っている人は飼っていたし、ペットショップにも普通にいた。
第一、飼育者がいないのに、「なぜ街場に野良猫が?」と、日本の誰も疑問に思わないのだろうか?
まさか「あれは野良猫ではなく、我が国の希少な固有種の野生猫ですよ」なんて、ねじ曲がったお国自慢で丸め込まれた訳でもあるまい。
私が思うに、韓国人が猫を毛嫌いしているというよりも、愛玩動物として猫に関心を持つようになったのが、生活に余裕が出てきた最近のことなので、その実体がイマイチはっきりしない、ということなのではないだろうか。
そして年配者ほど、動物を嫌う、もしくは無関心な傾向が韓国にはあるようなので、猫に対する冷徹なイメージと偏見は、そういったところから来ている可能性はある(でも犬は隷属動物かつ食材なのでOKみたいな…)
日本だって、古来から猫を愛でてはいたが、どちらかといえばペットというよりも、ネズミ駆除その他の「機能性居候動物」としての意味合いの方が強い時代が長かったことと同じようなもんである。
いつの時代にも、韓国の猫好きは、少数かもしれないが普遍的にいただろうし、今のソウルで、ここ数年、猫カフェがオープンしたことも、やっぱり支持する人たちがいるからこそ。
そして、どうやらソウルに住む若い独身女性にとって、猫を飼うこと、愛でることは、一種のおしゃれなステータスになってきているようだ。
それを象徴するような小作品が、2011年11月、韓国で公開された『고양이 춤』という76分の短い映画だ。
分類上はドキュメンタリーということになっているが、街場の野良猫を追いつつ、猫と人の関係に想いを巡らすという、映像エッセイみたいな内容で、「映画」といっていいのかどうか、微妙な作品でもある。
作り手はCMディレクターの윤기형と、詩人이용한という「野郎ども」だが、この作品の特徴は、猫たちを全く擬人化せず、あくまでも人とは違うものとして描き、愛情を注ぎつつも、距離を置いた視点で描いていることだろう。
そこが韓国人の猫に対する一スタンスをよく表しているのかもしれないが、なによりも衝撃的なのが、出てくる猫がみんな、汚くて醜くて、人を見た途端、毛を逆立てて「ギャー!」と威嚇するような「どら猫」ばかりということだ。
それゆえ、ソウルという都会における猫と人の関係がリアルに出ていたし、作り手は「本当に猫が好きなんだなぁ~」と感心したりもするのだけど、その「どら猫」ぶりに、ちっともカワイイとは思えない自分もまた、確実にいたのであった。
でも、一番驚くべきことは、この「どら猫映画」が、何げで若い女性観客に支持を得たことだろう。
通常の上映が終わってからも、ソウルの某ミニシアターでは日に日に上映回数が増えているではないか!
かくいう私も観に行った時は、半端な場所にある某劇場の、これまた半端な時間帯だったにもかかわらず、若い女性客で劇場半分が埋まっており、これには驚かされた。
この作品が支持を得た背景には、ロケ地が「一歩先行くおしゃれな街」弘益大辺りだった、という説もあるが、考えてみれば、私が知る「猫女子」たちは、みんな弘益大付近の住人だったりする。
…でもそれって、この街が「どら猫物語」の舞台になった原因じゃないの??

ネット上にはそんなネタばっかりだし、日本の「韓流切り込み隊」である某TV局その他も、そんなニュースを流していたような記憶がある。
だが、果たしてそうなのか?
確かに日本に比べれば圧倒的に飼育数は少ないように見える。
野良猫だってあまり見かけない。
でも、昔から飼っている人は飼っていたし、ペットショップにも普通にいた。
第一、飼育者がいないのに、「なぜ街場に野良猫が?」と、日本の誰も疑問に思わないのだろうか?
まさか「あれは野良猫ではなく、我が国の希少な固有種の野生猫ですよ」なんて、ねじ曲がったお国自慢で丸め込まれた訳でもあるまい。
私が思うに、韓国人が猫を毛嫌いしているというよりも、愛玩動物として猫に関心を持つようになったのが、生活に余裕が出てきた最近のことなので、その実体がイマイチはっきりしない、ということなのではないだろうか。
そして年配者ほど、動物を嫌う、もしくは無関心な傾向が韓国にはあるようなので、猫に対する冷徹なイメージと偏見は、そういったところから来ている可能性はある(でも犬は隷属動物かつ食材なのでOKみたいな…)
日本だって、古来から猫を愛でてはいたが、どちらかといえばペットというよりも、ネズミ駆除その他の「機能性居候動物」としての意味合いの方が強い時代が長かったことと同じようなもんである。
いつの時代にも、韓国の猫好きは、少数かもしれないが普遍的にいただろうし、今のソウルで、ここ数年、猫カフェがオープンしたことも、やっぱり支持する人たちがいるからこそ。
そして、どうやらソウルに住む若い独身女性にとって、猫を飼うこと、愛でることは、一種のおしゃれなステータスになってきているようだ。
それを象徴するような小作品が、2011年11月、韓国で公開された『고양이 춤』という76分の短い映画だ。
分類上はドキュメンタリーということになっているが、街場の野良猫を追いつつ、猫と人の関係に想いを巡らすという、映像エッセイみたいな内容で、「映画」といっていいのかどうか、微妙な作品でもある。
作り手はCMディレクターの윤기형と、詩人이용한という「野郎ども」だが、この作品の特徴は、猫たちを全く擬人化せず、あくまでも人とは違うものとして描き、愛情を注ぎつつも、距離を置いた視点で描いていることだろう。
そこが韓国人の猫に対する一スタンスをよく表しているのかもしれないが、なによりも衝撃的なのが、出てくる猫がみんな、汚くて醜くて、人を見た途端、毛を逆立てて「ギャー!」と威嚇するような「どら猫」ばかりということだ。
それゆえ、ソウルという都会における猫と人の関係がリアルに出ていたし、作り手は「本当に猫が好きなんだなぁ~」と感心したりもするのだけど、その「どら猫」ぶりに、ちっともカワイイとは思えない自分もまた、確実にいたのであった。
でも、一番驚くべきことは、この「どら猫映画」が、何げで若い女性観客に支持を得たことだろう。
通常の上映が終わってからも、ソウルの某ミニシアターでは日に日に上映回数が増えているではないか!
かくいう私も観に行った時は、半端な場所にある某劇場の、これまた半端な時間帯だったにもかかわらず、若い女性客で劇場半分が埋まっており、これには驚かされた。
この作品が支持を得た背景には、ロケ地が「一歩先行くおしゃれな街」弘益大辺りだった、という説もあるが、考えてみれば、私が知る「猫女子」たちは、みんな弘益大付近の住人だったりする。
…でもそれって、この街が「どら猫物語」の舞台になった原因じゃないの??

猫の飼育が増えれば、野良猫も増える、ってことです。
Vol.370 2011年度韓国映画BEST-TEN(後編) [韓国映画]
2011年の韓国映画は、なんといっても『써니』。
結局、2011年は、『마이웨이』でも『7광구』でもなく、『써니』だったというのが個人的な思い出です。
おそらく、次の大統領が誰になるかで、韓国映画の志向も大きく変わってゆくでしょう。
世の中の不公平感が増大する韓国で、2011年に「過去への憧れ」を標榜する作品が幾つも出たことは世相と無関係ではないはず。
韓国に出向く(遊びにゆく)日本人は増える一方ですが、マスコミが奏でる【都合のいい韓国】ではなくて、【リアルかつネガティブな韓国】に目を向けることこそ、かの国への理解に必要なことなのではないでしょうか。
果たして、映画的にはどのような年に??

結局、2011年は、『마이웨이』でも『7광구』でもなく、『써니』だったというのが個人的な思い出です。
(2011年度 韓国映画BEST10)
『카페 느와르』懐古主義的実験作ですが、【ソウル】という事象を見事に捉えた、軽快なアクション映画としての魅力も持っています。
『써니』決して出来は良くないのですが、とにかくインパクトとパワーで観る側を押しまくる、トラウマ必至の作品。
『무산일기』朴訥すぎるヘルメット頭の主人公と、賢すぎる白い犬のキャラクターが強烈すぎ!
『위험한 상견례』様々な【差別】というものが、いかに社会を不幸にしているかを堂々と笑い飛ばす、今の日本では作れない類の痛快作。
『수상한 고객들』軽薄なコメディに見えるのは表向きだけ、実は重厚な社会派であり、今の韓国を映し出した好編です。
『마당을 나온 암탉』食物連鎖を通して生命の尊さを残酷なまでに描き、ファミリー層に決して媚びていません。
『소중한 날의 꿈』その作風には賛否両論あるでしょうが、緻密な世界観で【1980年代の夢】を瑞々しく描きます。
『퀵』日本公開は全く話題になりませんでしたが、こういう作品こそ、日本映画界が目指すべきなのでは?
『뽕똘』済州島を舞台にした、驚愕のおとぼけコメディ。出演者も秀逸です。
『도가니』一部誤解を招きかねない報道がなされましたが、真摯な社会派作品であると共に、優れた法廷ミステリーでもあり、韓国の日常にある反権力志向や倫理感が大きく投影された作品です。
2011年の韓国映画で、もうひとつの特筆すべき出来事だったのが、アニメーション作品『마당을 나온 암탉』が韓国内で200万人動員を記録したことでしょう。
それとは、色々な意味で対照的だったのが『소중한 날의 꿈』。
でも、こっちの方が日本のオトナとしては遥かに共感できるような…
『마당을 나온 암탉』は、【マンガ映画=子供向け=パターン化された押し付けがましい健全さ】を壊すことに成功しているという点で評価したいのですが、世界観が不気味過ぎて、『돼지의 왕』より、ホラー映画の様相を呈しているかも。
『돼지의 왕』(参考として)個人的には「どーもねぇ~」的作品ですが、カルトとして人気を集めました。
今の韓国の若者が抱える鬱々とした絶望を如実に描いた作品かもしれません。
青少年向け『마당을 나온 암탉』か??
2012年、韓国は大統領選挙の年。(投資するならこの才能)
「韓流」という歪曲されたフォーマットが氾濫してしまった今の日本、昔以上に韓国映画に対して投資支援をおこなうことは、何の意味もないことかもしれません。
しかし、이창동の『박하사탕』(→OSTは名盤!)に日本の国営TV局が投資をしていた事実は、決して恥ずべきことではないはず。
そんな訳で、日本企業や投資家の皆様が積極的な支援をお考えならば、次の二人を推薦します。
부지영監督
(主な作品)
『시선 너머-니마』
『지금, 이대로가 좋아요』他
女性監督特有の柔らかだけど頑なな感性と、独特の家族主義的視点は、日本人に大変共感しやすいと思います。![]()
無理矢理ネタの日韓合作ではなくて、あくまでも韓国のドメステックなテーマに沿うことで、両者を自然に繋ぐ作品を作ることができうる可能性を秘めたクリエイターです。
신동일監督
(主な作品)
『나의 친구, 그의 아내』
『반두비』他
이창동が『밀양』以降、全く期待できない映画監督になってしまった今、その穴を埋める可能性を秘めた「希望の光」。![]()
人が生きてゆく上で避けることができない業や卑しさ、愛と憎しみを朴訥ながらも、正面から舐めるように切り取って行くスタイルは、신동일ならではのもの。
そして何よりも、俳優の使い方が光ります。
【メジャーをやったらどうなるか?】という点では、ちょっと難しい印象もありますが、現場で監督以外、周りを日本人スタッフと出演者で固めてしまっても、予想を超えたサプライズを見せてくれそうな人。
おそらく、次の大統領が誰になるかで、韓国映画の志向も大きく変わってゆくでしょう。
世の中の不公平感が増大する韓国で、2011年に「過去への憧れ」を標榜する作品が幾つも出たことは世相と無関係ではないはず。
韓国に出向く(遊びにゆく)日本人は増える一方ですが、マスコミが奏でる【都合のいい韓国】ではなくて、【リアルかつネガティブな韓国】に目を向けることこそ、かの国への理解に必要なことなのではないでしょうか。
果たして、映画的にはどのような年に??

話題はまさか『괴물2』とか?年末公開の噂もありますが…
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