
Vol.277 二人のアニメーション監督 ~シネマコリア2009~ [韓国映画]
去る11月7日、名古屋で開催されたシネマコリア2009は、非常に意味のあるイベントだった。
シン・ドンホン監督とキム・チョンギ監督、この二人が肩を並べ、酒を酌み交わす場に、一個人として参加できる機会は、韓国であっても、ほぼ不可能に近い。
それが出来たのは、<日本のイベント>だったからこそ、だろう。
シン・ドンホン監督とキム・チョンギ監督という人の作品を観、直接話せる機会を持てて、つくづく感じたのは、今回の作品が、監督自身の世代というものを、深く引きずっている、ということである。
二人のパーソナリティーは、対照的だが、今の韓国でも、異端の人たちだと思う。
まず、シン・ドンホン監督。
日本語と韓国語のバイリンガル、壇上でも、両国語のスイッチングは実に見事だったが、それは育った時代を考えれば当然のこと。
豆満江近くで生まれ、高名な書道家の父を持ち、青春時代を日本と深く関わった教育環境で過ごし、マンガ家として出発したシン・ドンホン監督の人生をぬきに、『少年勇者ギルドン』が持つ、突飛なユーモアと暗さを理解することは難しいかもしれない。

キム・チョンギ監督は、シン・ドンホン監督と印象が180°異なる人物だ(二人とも牡羊座らしいけど)。
昔の韓国人気質を濃厚に漂わせ、ゆえに、色々と複雑で近寄りがたい人物ではあったけど、やはり、その人生と作品が製作された時代背景を抜きに、『ロボット・テコンV』を語るべきではないとも思う。
キム・チョンギ監督はソウルで生まれ育った、ソウルっ子だという。
テコンVのデザインワークについて「頭のデザインは、昔の朝鮮のものを参考にしましたね」と、尋ねた時、「あれは李舜臣の兜を参考にしたんだよ」という答えが返ってきたが、彼の事務所が昔から、光化門四差路、つまり李舜臣像の近所にあるのは、偶然ではないだろう。
『ロボット・テコンV』の裏側には、そういったものが色濃くあったのではないだろうか。
イベントのトークでは、「鍾路三街にあった日本家屋に住んでいた」と言っていたが、後で訊ねたところ、清渓川沿い側にあったそうだから、今の鍾路三街から乙支路三丁目方面寄りに住んでいた、といった感じだ(当時、清渓川はまだ泳ぐことができたと聞いて、驚いたけど、それは単に私が無知だったからである)。
ひたすら寡黙な人柄と、彼が手掛けた作品の多さを思うと、アルチザン、という形容がピタリと当てはまる人物だが、頑固なアルチザンだった故に、誤解され、歪曲されてしまった気もする。

この二人の人生は、その関わり方に差があるものの、日帝時代、独立後の混乱期、朝鮮戦争、戦争後の混乱期、軍事政権から民主政権へと、その青春時代と働き盛りの時期が、韓国現代史そのままに重なっている。
だから、最近の無責任な韓流イメージや、嫌韓イメージで作品を観てしまうと、伝わらないことの方が多いのではないだろうか。
『少年勇者ギルドン』をしょぼい、とか『ロボット・テコンV』を盗作だとか、今の日本と韓国の若い世代が弾劾することは物凄く簡単だ。
それに、作品というものは、作品以外の何物でもなく、そのプロセスが忘れ去られる宿命にあるのも事実だろう。
でも、それだからこそ、もっと真面目に、これらの作品群を研究する時代に来ているのではないか、そして、それが多角的にできるのは、韓国ではなく、日本の方では?とも思うのである。
東京から参加するには、時間的にも金銭的にも体力的にも、すごくキツかったけど、今回のシネマコリアは、今まで抱えていた幾つかの疑問に、ヒントを与えてくれた機会でもあったのだった。
シン・ドンホン監督とキム・チョンギ監督、この二人が肩を並べ、酒を酌み交わす場に、一個人として参加できる機会は、韓国であっても、ほぼ不可能に近い。
それが出来たのは、<日本のイベント>だったからこそ、だろう。
シン・ドンホン監督とキム・チョンギ監督という人の作品を観、直接話せる機会を持てて、つくづく感じたのは、今回の作品が、監督自身の世代というものを、深く引きずっている、ということである。
二人のパーソナリティーは、対照的だが、今の韓国でも、異端の人たちだと思う。
まず、シン・ドンホン監督。
日本語と韓国語のバイリンガル、壇上でも、両国語のスイッチングは実に見事だったが、それは育った時代を考えれば当然のこと。
豆満江近くで生まれ、高名な書道家の父を持ち、青春時代を日本と深く関わった教育環境で過ごし、マンガ家として出発したシン・ドンホン監督の人生をぬきに、『少年勇者ギルドン』が持つ、突飛なユーモアと暗さを理解することは難しいかもしれない。

キム・チョンギ監督は、シン・ドンホン監督と印象が180°異なる人物だ(二人とも牡羊座らしいけど)。
昔の韓国人気質を濃厚に漂わせ、ゆえに、色々と複雑で近寄りがたい人物ではあったけど、やはり、その人生と作品が製作された時代背景を抜きに、『ロボット・テコンV』を語るべきではないとも思う。
キム・チョンギ監督はソウルで生まれ育った、ソウルっ子だという。
テコンVのデザインワークについて「頭のデザインは、昔の朝鮮のものを参考にしましたね」と、尋ねた時、「あれは李舜臣の兜を参考にしたんだよ」という答えが返ってきたが、彼の事務所が昔から、光化門四差路、つまり李舜臣像の近所にあるのは、偶然ではないだろう。
『ロボット・テコンV』の裏側には、そういったものが色濃くあったのではないだろうか。
イベントのトークでは、「鍾路三街にあった日本家屋に住んでいた」と言っていたが、後で訊ねたところ、清渓川沿い側にあったそうだから、今の鍾路三街から乙支路三丁目方面寄りに住んでいた、といった感じだ(当時、清渓川はまだ泳ぐことができたと聞いて、驚いたけど、それは単に私が無知だったからである)。
ひたすら寡黙な人柄と、彼が手掛けた作品の多さを思うと、アルチザン、という形容がピタリと当てはまる人物だが、頑固なアルチザンだった故に、誤解され、歪曲されてしまった気もする。

この二人の人生は、その関わり方に差があるものの、日帝時代、独立後の混乱期、朝鮮戦争、戦争後の混乱期、軍事政権から民主政権へと、その青春時代と働き盛りの時期が、韓国現代史そのままに重なっている。
だから、最近の無責任な韓流イメージや、嫌韓イメージで作品を観てしまうと、伝わらないことの方が多いのではないだろうか。
『少年勇者ギルドン』をしょぼい、とか『ロボット・テコンV』を盗作だとか、今の日本と韓国の若い世代が弾劾することは物凄く簡単だ。
それに、作品というものは、作品以外の何物でもなく、そのプロセスが忘れ去られる宿命にあるのも事実だろう。
でも、それだからこそ、もっと真面目に、これらの作品群を研究する時代に来ているのではないか、そして、それが多角的にできるのは、韓国ではなく、日本の方では?とも思うのである。
東京から参加するには、時間的にも金銭的にも体力的にも、すごくキツかったけど、今回のシネマコリアは、今まで抱えていた幾つかの疑問に、ヒントを与えてくれた機会でもあったのだった。







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