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Vol.417 問答無用の必見作!台湾映画『セデック・バレ』 [映画]

 2013年4月20日、渋谷・ユーロスペースを皮切りに台湾映画『セデック・バレ(賽德克·巴萊)』第一部、第二部が同時公開された。
 一本の映画として観ると276分の堂々たる大作だ。

 台湾では2011年に公開され、大ヒットしていたが海外の映画祭では評判が芳しくなく、日本でも「反日映画」と悪意をもって一部報道される有様だった。
 極めてドメスティックなテーマである上、長尺なので日本公開はインターナショナルバージョン公開、もしくは最悪DVDスルーになる可能性もあったが、映画ファンの熱い応援があったのだろう、きちんと完全版で劇場公開に至ったことは非常に嬉しいことである。

 筆者は台湾に縁が薄いので、韓国映画よりも台湾映画を観る本数は圧倒的に少ないが、日本で公開されたものはなるべく観るようにしている。
 韓国映画は何本観ても今だに「異形の外国映画」だが、台湾映画はどういうわけか他人事とは思えない親近感を感じることが多い。

 私が最初に台湾映画で影響を受けたのは、今から二十年以上前にシネ・ヴィヴァン六本木で公開された侯孝賢の『童年往事 時の流れ』である。
 当時、侯孝賢は一般に知られていない監督だったが、この『童年往事 時の流れ』は地味な物語にも関わらず、形容しがたい不思議な衝撃があった。
 その後、侯孝賢は中国語圏を代表する有名監督になるわけだが、日本のマスコミが持ち上げることに比例して作品から魅力が失せてしまったことは本当に悲しいと思う。

 もう一本、忘れられないのが楊德昌の手による不朽の名作『牯嶺街少年殺人事件』だ。
 先に公開された2時間版はあまりピンと来なかったが、4時間版の方は日本人が知り難いショッキングな台湾人のトラウマが生々しく、情緒いっぱいに描かれていて、思春期の悲劇を描いた作品としても非常に優れていた。
 楊德昌はその後、映画を撮ることをやめてしまい、アメリカで数年前に亡くなってしまったが、彼の『牯嶺街少年殺人事件』に今も思いをはせる日本の映画ファンは多いのではないだろうか。
 この作品が幻になっていることは嘆かわしいことである。

 今回公開された『セデック・バレ』もまた、これら台湾映画の名作群にきっと仲間入りすることだろう。
 編集は荒く、いまいち整理仕切れていないため分かりにくい部分や、二部以降は話が間延びしてダレてしまうこと、VFXの仕上がりが良くない(韓国の会社が担当)など気になる点もあるにはあるが、そんなことがどうでもよくなるくらい、この映画には作り手の熱い「伝えたいぜ!」パワーが漲っている。

 登場する日本人像はステレオタイプだが、日本人俳優が真面目にかつ好演している上、種田陽平が手がけた美術は説得力があるので、それほど気にならない。
 日本人キャラの多くが典型的なヒールとして簡単に間抜けに殺されてしまうシーンが多いので、そこに反感を感じる人もいるだろうけど、多くの日本人観客はセデック族の人々に同化し共感して、その悲劇に涙することと思う。

 台湾側キャストも素晴らしい。
 セデック族頭目モーナ・ルダオ演じた林慶台のはまり方は尋常ではなく、彼を見出すことが出来た時点でこの映画は半分勝ったようなものだ。

 セデック族出身の警察官演じた徐詣帆と蘇達の二人も見逃してはならない。
 日本とセデック族の間で苦しむ二人の姿は、この映画の最重要な狂言回しであり、映画のテーマを体現したアイコンでもあるからだ。
 二人の演技力も高く、今回の作品を機に日本映画でも起用してほしいくらいである。

 隣国と日本の政治関係が悪化している今、台湾は例外的な「親日優等生」として日本のマスコミで持ち上げられることがより増えたが、台湾の人々からすれば、そんな十羽一唐揚げな決めつけは憤慨ものではないか。
 日本で「特亜」と悪意を込めて称される国々の人々全てが理性の欠如した反日の人々ばかりではないように、台湾の人々もまた、お花畑な親日家ばかりではないはずである。

 私が今まで接して来た台湾の人々は、誰かさんのように「反日」を無邪気に唱えこそしなかったが、無条件な「親日」では決して無かった。
 日帝時代そして日本に対して鬱鬱とした複雑なものをいつもどこかに抱えていたと思う。
 そうした彼らの心情を日本に住む日本人が垣間見ることは非常に困難ではあるけれど、この『セデック・バレ』は多少なりともそのことを伝えてくれる作品だったのではないだろうか。

 魏徳聖の監督デビュー作『海角七号』は日帝時代から今に至る日本と台湾の関係を、隠された悲恋を通じて描いてみせたが、「日本」という要素に無理矢理感があり、必然性があるように思えなかった。
 だから中国でDVDを発売する際、当局にとって都合の悪い部分を切ったら尺が60分になってしまったという笑い話もあるが、それはそれで納得できてしまったりもする。

 だが、『セデック・バレ』において「日本」とは、物語を紡ぐ上で避けることが出来ない、作り手も観る側も「ガチンコ勝負」で臨まざるをえない「必然」なのである。

 映画で日本人は沢山殺されるが、セデック族も残酷な報復を受ける。
 しかし、そこには戦後世代が歴史的事実を真摯に再構築して考察しようという努力と熱意が確実にあったと思う。
 この映画にはプロパガンダと悪意に満ちた「歴史的正義」の押し売りはないのである。

 この映画を観て「台湾は反日だ!」と怒り狂ったり、「台湾の人々も日本に対して共闘しましょう!」とやるのは個々人の勝手だが、まともな人々の支持はまず得られないだろう。

 この『セデック・バレ』、自分の歴史を考える上でも多くの日本人、特に若い人たちに是非観てほしい。

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